学校日誌

岩田小創立148年クイズその11

2021年10月4日 12時42分

質問27 明治6年誕生の匂坂学校初代校長はだれ?

答え27 質問6で紹介したように「宮地貞堯(みやじていぎょう)校長先生」ですが、実は、貞堯先生は当時まだ一教員という立場だったため、毎日浜松県(当時)に通い、資格を取得したのが明治8年10月27日でしたので、正式にはその日が初代校長の誕生ということになります。当時は車や自転車もなく、天竜川を渡り船で渡り、それから歩いて養成学校に通いました。それまで3円だった給料が8円になったそうです。(会報誌「銚子塚の里」No.119より)

 

質問28 明治21年匂坂尋常小学校(後の岩田小)の校則は?

答え28 一部を紹介します。「本校においては、毎日5時間授業するものとする。ただし、土曜日は3時間とする。

911日から1015日まで、午前8時始め午後2時終わる。

1016日から3月31日まで、午前9時始め午後3時終わる。

4月1日から7月10日まで、午前8時始め午後2時終わる。

7月11日から9月10日まで、午前7時始め午後1時終わる。」

季節によって授業時間を操作し帰宅時間を早めるという当時の農村がいかに子どもたちを(家の)労働力とみていたかがうかがえます。(会報誌「銚子塚の里」No.122より)

学びの様子

2021年10月4日 12時24分


1年生では、ものの数の単位について学びました。「いっぽん」「にぽん」ん?「にほんだね」。「いっぴき」「にぴき」ん?「にひきだね」。「いちまい、にまい、さんまい・・・」はそのまま言えるね。日本語って不思議ですね。

4年生の道徳では、学級にはいろいろな考えや立場の人がいるので、集団生活では周りの人のことを考えて発言したり、行動したりできることが大切だと学びました。グループの話し合いも活発でした。

6年生の道徳では、社会のルールや決まりについて、「義務」や「ルール」の言葉の意味を考えながら、私たちが気持ちよく生活していくためにはどんなことが大切かを考えました。個人案をもとに全体で意見交換し、考えを深めました。

地元の堀内さんが協力してくださる校内のミニ田んぼも穂が順調に育っています。校舎2階から眺める田んぼもきれいな黄金色になってきました!秋ですね!

今日のクイズ

2021年10月1日 15時20分

今日のクイズです。

今日は午後のみの受付時間だったため、来室者は多くはありませんでしたが、いくつかの答えを紹介します。さすが岩っ子、よく考えましたね。一部を紹介します。
①カラス、ニワトリ、トンボの中で、人の頭に止まったり、止まっているときに少しずつ羽の角度を変えながら休むものは?
(たしかにトンボは頭を少しずつ角度を変えながら、羽も角度を変えたりしていますね!鋭い視点です!!!)
②ドラゴンフライを日本語に訳すと?
(おっ!?英単語の知識がありますね!スペルはdragonflyです)
③空を飛ぶ昆虫の中で、「と」で始まるこん虫は?
(これはやられました。たしかに「とんぼ」しかないか・・・)
④むかしぼくの指をかんで、ぼくを泣かせた虫?
(むむむ、クワガタかもしれないし、かまきりかもしれませんが、彼の頭の中にはもう「とんぼ」しか存在していないのでしょうねきっと)
みなさん、うれしそうにごほうびシールをもらいました!

岩田小創立148年クイズその10

2021年10月1日 15時17分

質問25 岩田村はいつ磐田市に?

答え25 昭和31年1月1日磐田市に合併しました。明治22年に岩田村が誕生して66年のことでした。(会報誌「銚子塚の里」No.112より)

 

質問26 明治6年(1873)9月15日「匂坂学校」誕生以前には学校はなかった?

答え26 増参寺に寺子屋(「匂坂郷学校」とよばれていました)があり、60人が学んでいたそうです。明治5年8月に「学制」が頒布され、明治6年から全国各地で「学校」が設立されてゆきました。(会報誌「銚子塚の里」No.118より)

岩田小創立148年クイズその9

2021年9月30日 13時50分

質問23 明治26年10月2日の遠足はどこへ?

答え23 3,4年生34名が袋井の可睡斎へ徒歩で行きました。帰りは汽車で袋井駅から中泉駅(現在の磐田駅)で下車し、そこから岩田小へ徒歩で夕方5時に到着しました。東海道線静岡―浜松の開通が明治22年で、当時岩田村には自転車すらない時代(岩田村最初の自転車は明治39年)だったため、岩っ子たちにとって初めて汽車に乗ってながめた14分間は一生忘れることのない感動の連続だったことでしょう。(会報誌「銚子塚の里」No.107より)

 

質問24 昭和19年12月7日午後1時40分に発生した東南海地震の被害は?

答え24 岩田小の沿革誌によると、校舎は倒壊は免れたものの、全棟が傾いてしまい、教室内の多くの壁などが脱落してしまい、窓ガラスもほとんど破損したようですが、児童や職員には異常はありませんでした。岩田村全体では、全壊1戸、半壊3戸でした。太田川流域や磐田郡南部地区に大きな被害がありました。袋井では全壊が620戸、向笠地区の全壊は122戸。向笠地区住民の証言では、まっすぐに立つことができず、地面を転がることしかできなかったそうです。(会報誌「銚子塚の里」No.111より)