学校日誌

岩田小創立148年クイズその5

2021年9月19日 11時12分

質問12 第2次世界大戦中の岩田小周辺の被害は?

答え12 空襲警報などはたびたび発令されました。また、昭和20年1月や2月にはアメリカ軍飛行機が、学校上空を南進しましたが、岩田村は一発の爆弾も落ちてはいないと記録されています。(ただし、男子小学生一人が浜松の親せきの家に行ったとき、空襲にあって亡くなったそうです)2月16日、17日にはアメリカ軍の小型機が超低空で通過し、操縦するアメリカ兵の顔が見えたという証言もたくさんあるそうです。(会報誌「銚子塚の里」No.23より)

 

質問13 岩田小最初の運動会は?

答え13 明治21年(1888)4月28日、天竜川の河原で豊田や見付地区など7つの学校が集まって行われました。参加児童は2年生以上で、女子は見学のみだったようです。(当時は、女子は運動などをすべきでないという考え方があったようです)(会報誌「銚子塚の里」No.24より)

 

質問14 大正4年(1915)の岩田小の人数は?

答え14 児童数336人(男170人、女166人)で、当時は今の3倍近くの人数が岩田小で学んでいました。岩田村全体でも2,054人が住んでいました。(令和3年8月の岩田地区の人数は2,029人でした。平成2年は2,174人でした)(会報誌「銚子塚の里」No.25より)

リモート授業

2021年9月17日 15時29分

今日午後2時10分から、各学年ごとにリモート授業を行いました。(児童クラブの一部は学校で授業参加しました)
対面授業のほうがおたがいの反応はすばやく、なによりその場の生きた空気を肌で感じ取ることができます。しかし、今後いつ臨時休校になるかも予測困難な状況ですし、長期休暇にも端末の有効活用が可能です。成果や課題も含め、今日はよい学習の機会となりました。

岩田小創立148年クイズその4

2021年9月17日 12時40分

質問8 岩田地区の大きな水害があったのはいつ?

答え8 いまからちょうど110年前の明治44年(1911)。前日から降り続いた大雨で8月4日夜10時、ついに天竜川堤防がくずれ、大量の水が岩田村に流れ込み、岩田小のまわりも60cmの湖になってしまったそうです。村人は学校やお寺や高台に避難しました。記録では294件が水につかったとあり、岩田村のほとんどの家が大変な被害を受けたことがわかります。村人はそのあと数日間は小舟で移動したそうです。(会報誌「銚子塚の里」No.20より)

 

質問9 明治16年(1883)当時の匂坂学校(岩田小)の人数は?

答え9 児童数184人(男140人、女44人)で、今の124人よりも60人も多かったことがわかります。しかし、当時の岩田村の児童数は374人もいましたので、約半数の子どもしか学校には行かなかったことがわかります。男女の数もアンバランスですね。

 

質問10 明治16年(1883)当時の匂坂学校(岩田小)の先生の数は?

答え10 わずか6人でした。宮地校長先生が30歳!他の5人は全員男性で、年れいは皆14歳から18歳まで大変若かったようです。今でいう中学生や高校生のお兄さんたちに教えられていたということになります。(先生の給料は月8円でした)

 

質問11 当時の夏休みの期間は?

答え11 8月11日から17日までのわずか1週間でした。冬休みは12月25日から1月7日までですから現在とほぼ同じです。夏休みは短いですが、畑や田んぼなどの家の手伝いをする休みが2週間あったそうです。当時は試験もあり、試験が終わると5日間は休みもありました。

岩田小創立148年クイズその3

2021年9月16日 16時49分

質問6 初代校長先生の名前は?

答え6 宮地貞堯(みやじていぎょう)校長先生です。明治6年当時はまだ20歳で、正式な校長ではなく、一人の教員だったようです。明治16年には正式な校長として記録に残っています。宮地貞堯先生が生まれたのは嘉永6年(1853年)で、この年に黒船のペリーが浦賀に来航し、日本中が大騒ぎになったはずです。

校長室に今も飾られている初代校長(宮地貞堯先生)の肖像画です。やはりかなり若いですね。(当時はまだ写真の技術が普及していませんでした)

  

質問7 匂坂城ができたのはいつ?

答え7 今から約490年前の天文元年(1532)といわれています。岩田小の南50mには「匂坂城址(さぎさかじょうし)」と書かれた立派な石の碑があります。徳川家康が156812月に掛川に向かう途中で匂坂城に立ち寄ったとの記録もあります。1571年3月には武田信玄によって匂坂城が焼かれてしまったそうです。(翌年10月にも焼かれたともいわれ、2度にわたって攻められたとも考えられているようです)

岩田小の南に今も残る匂坂城の石碑

幻の光明電鉄運行図(岩田小と天竜川の間を電車が走っていました)

 

 

 

 

 

5年遠洋漁業リモート授業

2021年9月16日 14時08分

5年福川先生の義理の弟さんにあたる福川元(はじめ)さんが、5年生の社会科の授業に「漁師」として、リモート出演してくださいました。
20歳から漁師として10年間以上漁師の仕事を続けていらっしゃいます。現在は、他の漁船も監視する立場だそうです。
・世界中のほとんどすべての地域に漁船に乗って出かける。
・アミ漁で800トンの魚を捕まえるか(早ければ数週間)、食料がなくなるかしなければ日本に帰ることができない、という生活を5年間続けた。
・船は海上でも右側通行で、ブレーキがない!
・夜はまっくらで、でんきはつけない。それは電気をつけると外(海)が見えないため。
おだやかな語り口調で、みんな真剣に耳を傾けていました。
元さん、今日はありがとうございました。お体に気を付けてこれからも頑張ってください。私たちにおいしい魚介類をこれからも提供してください!