学校日誌

東京オリンピック聖火ランナー青島さん

2021年9月27日 13時43分

匂坂新にお住いの青島一郎さんが、2020東京オリンピックの聖火リレーにおいて、聖火ランナーとして参加されました。

現在、本校の玄関に、聖火リレーで走っていらっしゃる青島さんの写真とともに、「聖火トーチ」「ユニフォーム」「東京オリンピックポスター」等を展示しています。展示期間は今週木曜日までです。

岩田小創立148年クイズその8

2021年9月26日 10時31分

質問20 「ホラの谷」はどこにあった?!
答え20 増参寺から県道の坂を見ると、たしかに山が入り組んで奥まった場所があります。そこに「ホラの谷」(当時の人々は「ホラん谷」と呼んでいたようです)がありました。当時とても恐れられていた伝染病の対策として、明治24年(1891)岩田村衛生組合が設立され、1901年 隔離病舎がホラの谷に建設されました。記録には昭和16
年9/8~9/25までの18日間入院した女性の入院費用は239円30銭で、当時の小学校長の月給は100円でした。入院患者は多い年には10人を越え、完治して帰宅できた人は半数に満たなかったそうです。(ホラとは「がけや大きな岩、ほら穴、谷」の意味です)1945年に隔離病舎廃止され、今では、ホラん谷も樹木で生い茂り、当時の様子を知る人はほとんどありません。(会報誌「銚子塚の里」No.68より)

 
(写真左)県道直下にその面影を残す「ホラん谷」。白いトラックが坂を通過しています。
(写真右)「ホラん谷」をバックに体育授業を楽しむ岩っ子たち


岩田小創立148年クイズその7

2021年9月24日 12時14分

質問18 岩田小のシンボルでもある「煉瓦門(れんがもん)」はいつできた?
答え18 大正6年、増参寺横にあった匂坂学校時代に造られました。その後昭和16年に現在の場所に引っ越しをした時に「煉瓦門」も引越しをしました。(一昨年の台風で、片方の門が倒れて傷がつきましたが、現在では修復され、岩っ子たちの様子を見守ってくれています)


質問19 大正2年(1913)年当時の岩っ子たちの人数と体格は?
学年  男     身長  体重  女  身長  体重
1年 20人 105cm 18.1kg 18人 104cm 17.6kg
2年 19人 110cm 20.3kg 24人 107cm 18.8kg
3年 21人 114cm 21.8kg 12人 113cm 21.4kg
4年 22人 120cm 22.9kg 30人 117cm 22.5kg
5年 22人 124cm 25.1kg 27人 122cm 24.9kg
6年 20人 130cm 28.8kg 20人 125cm 27.1kg
合計 男子124人      女子131人  
*身長と体重は大正2年当時の岩っ子の平均値です。
*令和3年の岩田小全校児童数124人は、当時の男子児童数と同じ数ですね!
*108年前に比べて、身長や体重は現在のほうがかなり大きいことがわかります。(あ
くまで平均の数字です)
*当時は、校長を含む教員5名で指導していたようです。とても少ない先生の数です
ね!

今日の学びの様子

2021年9月24日 10時30分

休日明けの翌日ですが、岩っ子たちは元気いっぱいに学習を頑張っています。

1年生は画用紙を使って、立ち上がるものを作りました。クレヨンで色を塗って動物や家を立体で作りました。外国語活動の時間には色の言い方を勉強しました。ALTが読んでくれた絵本にも興味津々です。

2年生の外国語活動では、果物の言い方を覚えたあと、英語でフルーツバスケットをしました。

3年生はテストと戦っています。ローマ字の勉強も始まりました。廊下にはオリジナルようかいの作品が展示されています。

5年生は11月10日から始まる観音山に向けて、グループになって活動目標を話し合いました。

6年生は、1学期に実施した全国学力調査(算数)の振り返りをしました。クラス掲示(目指すクラスの姿)のとおり、間違えた問題が大切で、この振り返りによってできなかった問題を見つめなおし、今度はできるようにしておくことが大切ですね。

4年生の音楽では、「動物の謝肉祭」の曲を聞いて、旋律の特徴からどんな動物をイメージして作られた曲かを考えました。

岩田小創立148年クイズその6

2021年9月22日 13時09分

質問15 「銚子塚古墳」の発掘はいつ?

答え15 明治13年(1880)2月20日、寺谷の八幡神社付近に住んでいた松下栄吉・奥五郎親子と協力者2人によって行われました。以下はインタビューの記録です。

・松の大木を掘り起こしていくと、鍬(くわ)にあたるものがあり、それは鏡だった。

・その時激しい夕立があり、掘り起こしたことによる祟(たた)りだと思い、こわくなって逃げだしてしまった。

・その後現場に戻ると、掘った場所が水たまりとなっていて大変だったが、銅の器や鍬などが出てきた。

(写真左)鏡(三神三獣鏡)は直径17cm    
(写真右)銅鍬は2個出土し袋部は4.5cmでゆりの花のつぼみのようだったと記録されています。 

鏡は当時25円で買い取られ、現在は東京博物館に所蔵されているようですが、そのほかは学術的な裏付けもない調査で、出土品もすべて行方不明という、残念な発掘結果だったと記録されています。(会報誌「銚子塚の里」No.38より)

質問16 岩田村に初めて電灯がついたのはいつ?

答え16 大正9年(1920)5月6日です。それまでは「ランプ」の時代でした。この日は役場で午前10時から12時の間に印鑑持参で電球が交換され、ほとんどの家で電球はわずか一灯か二灯だったようです。(会報誌「銚子塚の里」No.39より)

 

質問17 岩田小(匂坂学校)で初めての校訓は?

答え17 明治40年(1907)2月11日です。(会報誌「銚子塚の里」No.39より)

1 善き人となるの本は正直にあり

1 賢き人となるの本は勤勉にあり

1 健き人となるの本は衛生にあり

明治という時代らしい言葉ですが、その精神は現代にも十分通用します。