岩っ子タイムに、全校で「感染症対策に注意した歯みがきの仕方」について考えました。
向陽中学校の保健委員会が作成したスライドをもとに、養護教諭からの問いかけや説明の補足がありました。具体的にどのようにするとよいか、低学年にも分かるようにイラストで表現されていました。
向陽中学校の保健委員会で作成したスライドは学府内で共有し、互いに感染症対策へ取り組もうという意識を高めていきます。
質問29 匂坂学校時代の校則は?(会報誌「銚子塚の里」No.123より)
答え29 かなりさまざまな校則(学校の決まり)がありました。いくつか紹介します。
(1) 先生編(生徒指導)
25条 (問題を抱える児童を指導するときは)「声息の通せざる部屋に招致し、懇切周到その非を説き、全く悔悟せるに至りて止む」
*指導するときは、声の漏れない部屋で指導し、ていねいにその児童の過ちを説明し、本人が反省したら終了する、という意味です。
(2)保護者、来校者編(授業参観)
41条 「参観を乞うものは、その族籍職名を記載せる名刺を出して指揮を待つべし」
*授業参観を希望する者は、族籍つまり「士族」とか「平民」との家柄を記入しなければならない、という意味です。
42条 「参観者は係員の案内を得て教室に入るべし」
45条 「参観者は以下に該当する者は初めよりこれを禁ず」(以下に当てはまる者は、参観することができない)
1 酒気を帯ぶるもの(酒を飲んでいる者)
2 みだりに教室に出入りするもの(指示に従わずあちこち移動する者)
3 教室内においてみだりに発言するもの(勝手なおしゃべりをする者)
4 みだりに教室内を徘徊するもの(動き回る者)
5 襟巻または外套を着て教室に入るもの(マフラーやコートを身に付けたままの者)
(3)教科編
*算術(算数)、体操(体育)、読書、作文、習字、などさまざまな決まりがありました。(例)体操は、「はじめは外遊びから始め、体操に移行する。その際、常に正しい姿勢を意識させ、筋力を付けさせる」とあります。
(4)試験
「小試験、修成試験、卒業試験の3種類とする。小試験は毎年全学年6回実施する」
(小学生でも、大変な試験をかなり経験していたようです。だから当時は試験後の休みが5日間もあったんですね)
質問27 明治6年誕生の匂坂学校初代校長はだれ?
答え27 質問6で紹介したように「宮地貞堯(みやじていぎょう)校長先生」ですが、実は、貞堯先生は当時まだ一教員という立場だったため、毎日浜松県(当時)に通い、資格を取得したのが明治8年10月27日でしたので、正式にはその日が初代校長の誕生ということになります。当時は車や自転車もなく、天竜川を渡り船で渡り、それから歩いて養成学校に通いました。それまで3円だった給料が8円になったそうです。(会報誌「銚子塚の里」No.119より)
質問28 明治21年匂坂尋常小学校(後の岩田小)の校則は?
答え28 一部を紹介します。「本校においては、毎日5時間授業するものとする。ただし、土曜日は3時間とする。
9月11日から10月15日まで、午前8時始め午後2時終わる。
10月16日から3月31日まで、午前9時始め午後3時終わる。
4月1日から7月10日まで、午前8時始め午後2時終わる。
7月11日から9月10日まで、午前7時始め午後1時終わる。」
季節によって授業時間を操作し帰宅時間を早めるという当時の農村がいかに子どもたちを(家の)労働力とみていたかがうかがえます。(会報誌「銚子塚の里」No.122より)